2016/01/01 15:11:38
あけましておめでとうございます、aithemathです。
ちょっとだけ恒例にしていきたい気持ちもある一年の計。
ちょっとだけ恒例にしていきたい気持ちもある一年の計。
サル年ということでユニバーサルな一年したいなと思ったりもしますが具体的にはどういうことかさっぱりですがところで食材整理してたら去年買ったそうめんが出てきたので食べてみました。
明日お腹おわしてたらそれが原因です。
一年の計って難しい。
一番難しいのは「区分」の仕方だと思う。
例えば「内容」別で分けると、「音楽」とか「お仕事」とか「技術力」とか「読書」とかある。
それでも挫折のかたまりが吐き出されるのは目に見えている。どうせことしも去年くらいの進捗なんだろうな。
もちろん何もやってないわけじゃ無くて亀のように進んでいるところもあるんだけど、「一年の計」のときに大きな気持ちのときに掲げる目標値とはかけ離れた実績。
その原因の一つとして「内容」で区分しているかである、ということがいいたい。
他の区分だと「時期」別。
春にこんなことやって、夏にこんなことやって……みたいな。
これはこれでいい。
ぼんやりとしたやりたいことの中に「時間」の概念が入ると急に現実的になる。
「あれやりたいな」→「春だけじゃ終わらないでしょう」みたいな。
ようは精度が上がる。
結局、多くのことが達成できないのは「サボってしまう癖」と「時間が無いこと」の二つに尽きる。
働いている以上、家に帰ってきたら、好きなテレビ少し見て寝てしまう。サボりだ。
想定よりも遅く帰ってきたらもはや何もしないのでサボりよりかはこれは時間が無い。
受験生ほどの「勉強が仕事」だったり「落ちたら死ぬ」みたいな緊張感は無い。
受験は長期戦だけど、ビジネスは案外目先の仕事をこなさないと稼げない。それこそ死ぬ。
だから上記で二つに尽きたイイワケの前者はどうしても乗り越えるのは難しいのでは無いか。
それでもテクニックはいくつかある。
私にも受験生だった時期があるし、バイトだけど受験生を教えていたりもしたから、ノウハウはいくつももっている。
ただ、こういったノウハウは「働きながら何かを達成する」に対して悉く効果が無いことを思い知らされる。
あーそうかこれらは「時間がありあまっていること」が前提なのだなと思い知らされる。
で、バサっと諦めて後者。
「時間が無いこと」の解決を図ろう。
これは逆転の発想でよいではないか。
限られた時間の中でできる内容を精査すればいいのだ。
「時間ありきで、内容」の発想。シンプル。
時間は、いろんな計測方法がある。
個人的には「一年は52週間」というのがすごく好きだ。
あることを週末に4時間行うとする。
すると年間サボらずに行うと、4時間*52回=208時間となる。
これは平日10時間働いたとしてちょうど一ヶ月まるまるくらいの時間である。
自分自身が一ヶ月でどのくらいの仕事ができるかは経験上大体なんとなくわかっている。
実際めっちゃすごいことはできない。
一人だし、一ヶ月だし。
音楽で言ったらきっとちょうど一曲作って終わりくらいな気がする。
というくらいに「時間」の発想を入れて頭の中で少しシミュレートするだけで、
結局曲が作れないという目を背けたい解が導けてしまうのである。
その場合ここで詰まってしまう。
「時間ありきで、内容」は合理的であるが、夢や目標を掲げるにはあまりにも酷であった。
そこでもういちど「内容」に戻る。
「曲がひとつしか作れない」という内容を深掘りして、
果たして「曲を作りたいのか」という自問自答に変更する。
本質的には「うまくなりたい」のほうであって、
少なくとも現時点では、千本ノックのように数こなすの意味ではない。
すると「208時間で、曲作りを上手くなるには」と言い換えられる。
例えばギターの勉強に50時間費やして、ピアノの勉強に50時間費やして、JPOPのメロディと歌詞の練習に108時間費やす、みたいなより現実的なアクションが出てくる。
実際に上記のことを行っても曲作りが上手くなる気はしないが、時間と目標とアクションの精度は上がる。
ただし精度を上げすぎると、果たしてそれは一般的に「一年の計」が求めるものになるのかといえば疑問である。
疑問どころかおそらく誤っている。
「一年の計は、ギターの勉強に50時間費やして、ピアノの勉強に50時間費やして、JPOPのメロディと歌詞の練習に108時間費やすことです。」
……これは控えめに言っても頭おかしい人としか思えない。
しかし、それでいいのではないか、という提案をしたい。
「手段と目的と目標の混同」というフレーズはビジネスに身を置いていれば何度も耳にするフレーズである。
混同してはならないという立場をとると、一年の計で立てるべきは目標なのか目的なのか手段なのかを定義しなければならない。
「5kg痩せる」
は実にありがちな一年の計で挙げられそうな「目標」である。
この場合の「手段」は「運動する」とか「食事制限をする」となるし、
この場合の「目的」は「綺麗になる」とか「健康になる」となる。
これらを続けて一文でいうと、「運動や食事制限を行いつづけることで、結果として5kg痩せて、綺麗になるという目的を果たす」となる。
これを右脳で考えると、イメージ上の最も理想は「綺麗になる」であり、最も長くお付き合いすることになるのは「運動や食事制限」である。
「結果として5kg痩せた」というのは、最も長くお付き合いしたものと、イメージ上の最も理想との間にある、実は実に宙ぶらりんの状態のものなのである。
そして結論になるが、「もしこの宙ぶらりんのものを一年の計として認めたくないならば、一年の計ではしかと手段・目的・目標を定義して然るべきものを掲げるべき」といえる。対偶で「一年の計は手段・目的・目標混同で良いならば、5kg痩せたいのようなものも認められるべき」となる。
これが、「一年の計は、ギターの勉強に50時間費やして、ピアノの勉強に50時間費やして、JPOPのメロディと歌詞の練習に108時間費やすことです。」すらも認めていいのではという理由であり、これを認めないと「5kg痩せる」も一年の計として認められないと考察したものである。
久しぶりにだらだら書いてきたが、ここで論理的というよりも感覚的な一年の計として有するべき条件は以下のようになる。
・数字を含む
これに尽きるのではないか。
「何かを作る」という目標も「何かを完成させる」=「何かの完成度を100%にする」と無理やり見なせば数字を含む。
というわけで、2016年の一年の計はこれ!
・小説を24冊読む。
(1冊500P程度で一週間かかるので、月2冊/1000Pくらいのイメージ)
・音楽編曲本を4冊終わらせる。
(積ん読を見てみたら4冊あったというだけ)
・資格や検定を4つ受けて成果を残す。
(何となく情報系2つ、財務金融系1つ、英語系1つかな)
・ランニングウェアを買って、「一時期、毎日4km走ってた」と言う。
(秋かな)
おわりー
明日お腹おわしてたらそれが原因です。
一年の計って難しい。
一番難しいのは「区分」の仕方だと思う。
例えば「内容」別で分けると、「音楽」とか「お仕事」とか「技術力」とか「読書」とかある。
それでも挫折のかたまりが吐き出されるのは目に見えている。どうせことしも去年くらいの進捗なんだろうな。
もちろん何もやってないわけじゃ無くて亀のように進んでいるところもあるんだけど、「一年の計」のときに大きな気持ちのときに掲げる目標値とはかけ離れた実績。
その原因の一つとして「内容」で区分しているかである、ということがいいたい。
他の区分だと「時期」別。
春にこんなことやって、夏にこんなことやって……みたいな。
これはこれでいい。
ぼんやりとしたやりたいことの中に「時間」の概念が入ると急に現実的になる。
「あれやりたいな」→「春だけじゃ終わらないでしょう」みたいな。
ようは精度が上がる。
結局、多くのことが達成できないのは「サボってしまう癖」と「時間が無いこと」の二つに尽きる。
働いている以上、家に帰ってきたら、好きなテレビ少し見て寝てしまう。サボりだ。
想定よりも遅く帰ってきたらもはや何もしないのでサボりよりかはこれは時間が無い。
受験生ほどの「勉強が仕事」だったり「落ちたら死ぬ」みたいな緊張感は無い。
受験は長期戦だけど、ビジネスは案外目先の仕事をこなさないと稼げない。それこそ死ぬ。
だから上記で二つに尽きたイイワケの前者はどうしても乗り越えるのは難しいのでは無いか。
それでもテクニックはいくつかある。
私にも受験生だった時期があるし、バイトだけど受験生を教えていたりもしたから、ノウハウはいくつももっている。
ただ、こういったノウハウは「働きながら何かを達成する」に対して悉く効果が無いことを思い知らされる。
あーそうかこれらは「時間がありあまっていること」が前提なのだなと思い知らされる。
で、バサっと諦めて後者。
「時間が無いこと」の解決を図ろう。
これは逆転の発想でよいではないか。
限られた時間の中でできる内容を精査すればいいのだ。
「時間ありきで、内容」の発想。シンプル。
時間は、いろんな計測方法がある。
個人的には「一年は52週間」というのがすごく好きだ。
あることを週末に4時間行うとする。
すると年間サボらずに行うと、4時間*52回=208時間となる。
これは平日10時間働いたとしてちょうど一ヶ月まるまるくらいの時間である。
自分自身が一ヶ月でどのくらいの仕事ができるかは経験上大体なんとなくわかっている。
実際めっちゃすごいことはできない。
一人だし、一ヶ月だし。
音楽で言ったらきっとちょうど一曲作って終わりくらいな気がする。
というくらいに「時間」の発想を入れて頭の中で少しシミュレートするだけで、
結局曲が作れないという目を背けたい解が導けてしまうのである。
その場合ここで詰まってしまう。
「時間ありきで、内容」は合理的であるが、夢や目標を掲げるにはあまりにも酷であった。
そこでもういちど「内容」に戻る。
「曲がひとつしか作れない」という内容を深掘りして、
果たして「曲を作りたいのか」という自問自答に変更する。
本質的には「うまくなりたい」のほうであって、
少なくとも現時点では、千本ノックのように数こなすの意味ではない。
すると「208時間で、曲作りを上手くなるには」と言い換えられる。
例えばギターの勉強に50時間費やして、ピアノの勉強に50時間費やして、JPOPのメロディと歌詞の練習に108時間費やす、みたいなより現実的なアクションが出てくる。
実際に上記のことを行っても曲作りが上手くなる気はしないが、時間と目標とアクションの精度は上がる。
ただし精度を上げすぎると、果たしてそれは一般的に「一年の計」が求めるものになるのかといえば疑問である。
疑問どころかおそらく誤っている。
「一年の計は、ギターの勉強に50時間費やして、ピアノの勉強に50時間費やして、JPOPのメロディと歌詞の練習に108時間費やすことです。」
……これは控えめに言っても頭おかしい人としか思えない。
しかし、それでいいのではないか、という提案をしたい。
「手段と目的と目標の混同」というフレーズはビジネスに身を置いていれば何度も耳にするフレーズである。
混同してはならないという立場をとると、一年の計で立てるべきは目標なのか目的なのか手段なのかを定義しなければならない。
「5kg痩せる」
は実にありがちな一年の計で挙げられそうな「目標」である。
この場合の「手段」は「運動する」とか「食事制限をする」となるし、
この場合の「目的」は「綺麗になる」とか「健康になる」となる。
これらを続けて一文でいうと、「運動や食事制限を行いつづけることで、結果として5kg痩せて、綺麗になるという目的を果たす」となる。
これを右脳で考えると、イメージ上の最も理想は「綺麗になる」であり、最も長くお付き合いすることになるのは「運動や食事制限」である。
「結果として5kg痩せた」というのは、最も長くお付き合いしたものと、イメージ上の最も理想との間にある、実は実に宙ぶらりんの状態のものなのである。
そして結論になるが、「もしこの宙ぶらりんのものを一年の計として認めたくないならば、一年の計ではしかと手段・目的・目標を定義して然るべきものを掲げるべき」といえる。対偶で「一年の計は手段・目的・目標混同で良いならば、5kg痩せたいのようなものも認められるべき」となる。
これが、「一年の計は、ギターの勉強に50時間費やして、ピアノの勉強に50時間費やして、JPOPのメロディと歌詞の練習に108時間費やすことです。」すらも認めていいのではという理由であり、これを認めないと「5kg痩せる」も一年の計として認められないと考察したものである。
久しぶりにだらだら書いてきたが、ここで論理的というよりも感覚的な一年の計として有するべき条件は以下のようになる。
・数字を含む
これに尽きるのではないか。
「何かを作る」という目標も「何かを完成させる」=「何かの完成度を100%にする」と無理やり見なせば数字を含む。
というわけで、2016年の一年の計はこれ!
・小説を24冊読む。
(1冊500P程度で一週間かかるので、月2冊/1000Pくらいのイメージ)
・音楽編曲本を4冊終わらせる。
(積ん読を見てみたら4冊あったというだけ)
・資格や検定を4つ受けて成果を残す。
(何となく情報系2つ、財務金融系1つ、英語系1つかな)
・ランニングウェアを買って、「一時期、毎日4km走ってた」と言う。
(秋かな)
おわりー